谷屋

タニヤ谷屋:たんにゃ。旧谷屋村。真宗大谷派長竜寺は、鎌倉末期の禅僧瑩山紹謹が創建、一向一揆のさい、加賀から移住してきた僧が継承して真宗になり、今日に及ぶ(土田の歴史)。少名彦社。

谷屋の小字(原本132頁)

●a谷屋長龍寺遺跡(縄文) ●b谷屋修堂遺跡(縄文) ●c谷屋光孝寺遺跡(縄文)

栗山

クリヤマ栗山:旧栗山村。栗山紙の産地として知られる。宇佐八幡神社。真宗大谷派覚竜寺(住職の故芳岡良音さんが、昭和29年『土田の歴史』を著わした)。

栗山の小字(原本131頁)

印内

インナイ印内:旧印内村。「地名の由来は、往時古墳を掘り、出土した甕を小川で洗ったところ、朱が流れて川下まで印肉のように赤く染まったという伝承(角川)」もあるが、古代の「都知郷の中心に位置し、郷倉があり、それを管理する所を院内と称したからであろう(志賀町史)」とされる。白山神社。真宗大谷派長竜寺。

印内の小字(原本130頁)

●a印内ラントウ横穴群(13基確認。1号横穴に線刻文あり) ●b土田印内遺跡 ●c遍照ヶ獄夫婦塚1・2号墳

矢田

ヤタ矢田:旧矢田村。「北は天行寺岳、南は遍照岳の丘陵に囲まれる。中世の杜信仰が今も生きており、村の四隅にあるタツノ明神・タニサカ・タキサカ・ダンジョモの杜の神が村を守護すると信じられている。」「近在の谷屋・印内・栗山とともに紙漉きの村として知られた。」(角川) 森山熊野社・日面神社。

矢田の小字(原本129頁)

●a矢田遺跡(弥生) ●b矢田B遺跡(古墳)

矢駄

ヤダ矢駄:やた。旧矢駄村。矢駄・中野・小林の3区に分れる。安津見・倉垣とともに古くは京都上賀茂神社の神領で、能登荘(土田荘。現地では領家の名により加茂荘と称した)の一部。上賀茂神社の競べ馬神事(5月5日)には「土田御荘の馬」が今でも出場する。矢駄加茂神社(式内社)。

矢駄の小字(原本128頁)

●a矢駄遺跡(旧称矢駄横穴遺跡、中世) ●c矢駄アカメ遺跡(縄文・古代・中世) ●d矢駄イケダ遺跡 ●e矢駄南1~6号墳 ●f鹿首モリガフチ遺跡(縄文・弥生・古墳) ●g矢駄瀬戸山遺跡(縄文)

倉垣

クラカケ倉垣:くらかき。旧倉垣村。角川「当地が古来名馬の産地で京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)に毎年馬を奉納してきたといわれることに関連して、その鞍を掛けたことによると説かれており(志賀瑣羅誌)、地内の駒競コマクラベは奉納馬を調練した地と伝える。」封戸社。真宗本願寺派西教寺。

倉垣の小字(原本127頁)

●a倉垣遺跡(弥生・古墳・古代) ●b倉垣コマクラベ1号窯跡(生産遺跡、古代) ●c倉垣丸山古墳

安津見

アヅミ安津見:旧安曇村。安津見・親谷の2部に分れる。古代に(海人族の)安曇族が移り住んだとされることからか。北東の奥山峠を越えると七尾湾岸に通じる。奈豆美比咩神社(式内社)。真宗大谷派専念寺。

安津見の小字(原本126頁)

●b安津見川の中遺跡(縄文) ●c安津見上野畑遺跡(縄文) ●e安津見遺跡 ●f親右エ門谷古墳

米浜

ヨネハマ米浜:旧米浜村。地名の由来は、まだ日本海に開けた入江だった旧福野潟に接する、稲作ができる場所の意味か(志賀町史)。福井ナカミチ遺跡とともに大量の製塩土器が発掘されている。若宮八幡社。真宗大谷派存立寺。

米浜の小字(原本124頁)

●a米浜藤の森遺跡(古代) ●b米浜はげの下遺跡(古墳) ●c米浜遺跡(縄文・弥生・古墳・古代) ●d米浜クルマダン遺跡(古代)

高浜

【変遷】タカハマ高浜:①大念寺村は、ふるくは福野村の北部の上福野の砂丘地が、高位村、高塚村と称されていた。さらに七尾の真言宗大念寺の寺領となったので大念寺村といわれた。村社八幡神社。真宗安誓寺。➂大念寺村の北の神代川をはさんだ川尻村の対岸に、寛永年間、福井県の小浜・高浜から移住した漁師が許可をえて大念寺新村を立村した。海運・商業で急速に発展し、出村、川尻出村、志賀出村ともいわれた。郷社小浜神社。④大念寺新村は明治20年、先祖の出身地から高浜町と改称した。⑤明治22年、高浜町と大念寺村が合併して高浜町となった。⑤昭和45年高浜町は志賀町と合併、大字大念寺、大字高浜町は統合して、大字高浜町となった。  

高浜の小字(原本160、161、162頁)

神代

カクミ神代:旧神代村。郷社神代神社(式内社)。真宗大谷派専長寺。

神代の小字(原本158頁)

●a 神代窯跡群(生産遺跡、古代) ●b 神代貝塚(縄文)